池辺町杉山神社の神輿
横浜市都筑区池辺町の杉山神社。伝わる記録によると例大祭で担がれる神輿は天保2年(1831)東京四ッ谷の飾り神輿を池辺村に譲るという話から、池辺の八つの谷戸の力自慢八人が溝ノ口まで引き取りに向かったとなっております。
当時、佐江戸村の牧野よしさんの叔母にあたる方が、江戸の麹町に住んでいた山王神社神職の樹下家に嫁いだことから、神輿は当初佐江戸村に譲るという話になっておりました。しかし佐江戸村は人も少なく担ぎ手もいないので隣村の中原街道沿いの池辺村が候補にあがり、周辺の候補地の中から結局池辺村に落ち着いたようです。
八つの谷戸とは藪の根(現在は上下にわかれています)、川内、中里、根岸、坊方、星谷、八所谷戸、滝ヶ谷戸のこと。
わかっている引き取り手は、藪の根からは串田信夫氏のご先祖、八所谷戸からは鈴木豊氏のご先祖、川内からは川久保章氏のご先祖(鉄造氏)です。
池辺に来てからでも180年以上、創られてからは200年以上経っており昭和57年(1982)に浅草宮本卯之助商店で解体修理を受けました。
当時の衣装をそのまま引き継ぎ、池辺町杉山神社の神輿は白半纏、白半股引、白足袋、桃鉢巻、黄半纏帯で担ぎます。掛け声は今も昔も「わっしょい・わっしょい」。和を背負うことを表現しています。和を背負ってみんなで仲良く楽しく担ぎましょう(と言っても本来かなり荒っぽい担ぎ方をします。近隣被害、危険防止、安全対策をかねて神輿を揉むのは境内に入ってからとします。激しく揉んで、射して神様の威厳を高めましょう!)。
境内に戻り神輿を揉む際は神輿の重箱の下に保存会元会長内田、または現会長中山が入ります。下から止まれ、射せとの指示が入った場合はその指示に従い、射せ(神輿を全員で高く差し上げます)、(もう一度)射せ(そのまま神輿を放ります)してください。
ただし、神輿を絶対に地面に落とさないでください。また、放った神輿が落ちる際は怪我の危険が高まります。自己責任ですが、頭を割らないように気を付けてください。また担いでいる人間ももみくちゃになるので、他人の足を削らないように底の厚い足袋は禁止します。
(文責/問い合わせ先 池辺町神輿保存会 会長中山克己)